ドストエフスキーの『地下室の手記』という、なんとも胃の腑にくるような書物を読了した。
主人公である書き手は、地下室に棲息する四十歳の男である。あらゆる物事に屈折して見え、勝手に傷つき、ひとり手記を書いてはさらに深みにハマるという、なんとも危うい人物であった。
その自意識のねじれ具合があまりに激しく、最初は笑いながら読み進めていたものの、ページをめくるごとに背筋が冷たくなってきた。
「これは……わたしの未来の姿ではないのか……?」
たとえば、道の真ん中を自分よりも体の大きな男が歩いてくる場面。そこで譲るか譲らぬかを延々と脳内でこねくり回す描写には、私は激しく動揺した。
いや、むしろ共感と呼ぶべきだろうか。私の内部にも確かに存在する、あの好戦的な本能とそれをなだめようとする理性が言い争う声が、紙の上にそのまま印刷されていたからだ。
「俺は駄目なんだ……なれないんだよ……善良には!」
この台詞に至っては、私の胸の奥深くに突き刺さった。なまじそれが冗談でも比喩でもなく、全力で吐き出された絶望だったからこそ。
私は三十六歳。四十まであとわずかである。こんな調子で地下室に辿り着いてしまったらどうしよう、などと考えながら、読み終えた本をそっと伏せた。