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視力検査が終わらない

6年ぶりくらいに眼鏡屋に行った。

この6年間、私は己が視力に絶対の信頼を置き、根拠のない楽観主義のもと、これ以上視力が下がるはずがないとでも言いたげな顔で日々を送っていた。

だが、去年は両目とも1.2あった矯正視力が、今年はまさかの0.7に急降下である。なぜ?Why?

私は別段、夜中に蛍光灯の下で豆粒のような文字を凝視する生活などしていないし、画面から数センチの至近距離でスマートホンを10時間凝視するような趣味もない。

視力が低下する理由など微塵もない。納得いかない。納得がいかないので、ここは潔く全人類の視力が私と同程度まで落ちることを願ってやまない。全人類、視界不良に沈め。

そんなこんなで、眼鏡の度数を上げねばならなくなった。ついでに申し添えておくと、私の眼鏡のレンズはだいぶ以前から無数の傷に覆われていた。私はそれを「味」と呼んで放置していたのだが、最近になって「味」などという都合の良い言い訳は目に悪い気がしてきた。というか視力低下の原因はこの傷なのでは?

ついに私は決断した。「眼鏡屋に行こう」と。

眼鏡店に行って受付を済ませ、しばらく待っていると視力検査の案内をされた。検査機器はダイヤルをまわすと矢印が現れ、その矢印をお馴染みの輪っかの欠けた箇所に合わせる、というものだった。

ちなみにこの輪っかは「ランドルト環」という格調高い名前を持つそうだ。初耳である。

はじめのうちは、「上」「右」「左」などと、実に快調に矢印を合わせていった。しかし、輪っかは徐々に小さくなり、やがて豆粒のような姿になった。

ここからが問題だった。なんとこのマシン、見えない時のための「見えません」ボタンがないのだ。いや、本当はあったのかもしれないが、私の目には見えなかった。皮肉である。

「見えない場合はどうすれば?」と、今になって思えば至極まっとうな質問を店員にすればよかったのだが、内向的で人見知りの私は謎のプライドと羞恥心がブレンドされた複雑な感情に支配されており、そういう行動には出られなかった。

私は上下左右の四択をひたすら勘で答え続けた。見えぬなら当ててしまえホトトギス。だが、おそらく当然のごとく外しまくったのであろう、その結果、検査は一向に終わる気配を見せなかった。

ついにはランドルト環の欠けた部分どころか、環そのものが視界から消失した。もはや存在すら怪しい。だが私は意地になり、存在しない輪っかに向かってなおも「右!」とか「下!」とか心の中で叫び続けた。

「こいつ、いつまでやってんだ?」と不審に思ったのか、途中から店員がそっと近づいてきて、私の挙動をじっと観察し始めた。見てないで助けてくれ!と泣き叫んでやろうかと思い始めたところで、ようやく検査が終了した。

その後細かいところを店員と確認し、1時間後に眼鏡の受け渡しを受けることになった。予備の眼鏡など持っていない私は、視力0.1を優に下回る裸眼の状態で、曖昧模糊とした視界のなか、適当にその辺の店をぶらぶら見て回った。

ちなみに、新しい眼鏡の出来栄えに関しては、特段言うことはない。何の不満もない。よって何も語らない。

ただ一点、錆びていた鼻パッドを交換してもらい損ねたことだけが心残りである。店員も気づいていたはずなのだ。ならば気を利かせて交換してくれてもよかったのではないか。